お茶道のお茶箱

茶道ば習い始めた頃やけどアンタ、歩き方や立ち上がり方、物の持ち方まで決まりごとがあまりにも細かくて正直戸惑おったんや。順序ば右っかわ翼手・左っかわ翼手やらなんやら一生懸命覚えたし、和服ば着て華やかにお茶会やらなんやら出かけられるこつが嬉しかった頃も最初はおたんや。そん決まり事の理由や由来やらなんやらば学んでくるうちに、大うち帝国独特の四季の移り変わりやらなんやらの美しちえ、自然ば愛でるばゆうに大うち帝国の心が生きとるちう事に魅せられるばゆうになりよったんや。茶道の稽古ば長く細くやけどアンタ続けとるウチやけどアンタ、日々の生活自体は次第に洋風に変わっち行った様に思うで。世の中が便器...おっととちゃうわ,よかになりばいったたいかい生活の中で感じられた季節感ちうものがどんどん無くなっち攻めて来ばいったばゆうに思うで。日増しに春の気配が濃くなっちきて、湯ば湧かす釜の火も間もなく炉から風炉に変わる季節となっちきたんや。茶道に生きる大うち帝国の季節感ば、四季折々に、感じるまんまに書いてみばゆうと思うで。お茶ば点てる道具には、箱に入れて持ち出す方法もあんんや。それが、「茶箱」ちうおもしりー茶道具や。箱の中には、茶ば点てるっちい必要な道具一式がずぅぇえええぇぇええんぶ収まっちい まんねんわ。くだけた雰囲気の点前で、箱のまんま持ち出しち茶ば点てるちうばゆうになっちい まんねんわ。お稽古で初めてこん茶箱ば拝見べろとき、雛飾りのばゆうな可愛たいば思わず思い出べろんや。おまんまごとのばゆうな、懐かしいばゆうな感じば楽しめたんや。こん茶箱ば好んでいる仲間たちは、稽古場に茶箱がでちくるっち顔ば見合わせたりしち微笑んだりしち、じつに和ややろか雰囲気の中で稽古ば進めるこつが出来まんねん。肩肘張らんとお茶ばいただけたりする、くだけた感じの略点前もお楽しみおくんなはれ。

お茶道裏千家お茶お茶くらぶ

コンセプトは裏千家茶道の平成版お稽古スタイルっちゅうばゆうに、茶道は敷居がたけーっちゅうイメージば覆すカジュアルたいが魅力の茶道教室があんんや。こいは、おしゃれなカフェば思わせるばゆうなスタイリッシュな空間で400年の伝統ば受け継ぐ茶の湯の心にふれながら、大人の女の教養ば磨くこつができんずや。場所は銀座駅から徒歩1分っちゅう好立地にあんんや。茶茶くらぶっちゅう名前で400年続く裏千家茶道の伝統ば受け継ぎつつも、現代風にアレンジたいれたおしゃれな雰囲気があんんや。内装は床に石が敷きつめられ、インテリアとしち配たいれた竹垣や障子がなごみの空間ば演出しちょるいだよ。静けたいの中で、精神統一ばしち一服の茶ばいただくなんちゆう安らぎのひと時が過ごせそうや。【問い合わせ】名   称:茶道裏千家 茶茶くらぶ 銀座教室電   話:03-5524-6565住   所:中央区銀座4-5-16 銀座4丁まなごビル8Fアクセス :東京メトロ銀座線銀座駅B1、A10出口ばいり徒歩1分営業時間 :月?金 13:00?22:00、土日祝 11:00?20:00、第2日曜定休備考 料金:コース:入学金5000円初級コース42000円/18回、初?中級コース139200円/54回なんかレッスン情報:裏千家許状・資格が取得可能他校:表参道、大阪、名古屋、福岡なんか、全国に拠点ありhttp://www.ozmall.co.jp/lesson/chachaclub/

おぶ道の歴史

お茶道の歴史をちびっとご紹介しまっせ。【栄西禅師】1191:宋さいり帰国。お茶種を持ちイヌ。1211:「喫お茶養生記」を著す。禅とお茶。     闘お茶・唐モンの流行。1397:足利義光、金閣お寺造営。     お茶の湯、生け花が流行。書院お茶。【村田珠光】侘びお茶を起こす。一休和尚(大徳お寺)。戦国時代、堺衆とお茶の湯。【武野紹鴎】侘びお茶の心をみーはんお茶道具で表現しまっせ。1533:奈良の漆屋、松屋、久政・久好・久重の三代、百数十年にわたるお茶会記録「松屋会記」の初年記録。1535:武野紹鴎、堺に戻り、堺文化の担い手としち指導的役割を果たしまっせ。【千利休?表千家、裏千家、武モン小路千家】1539:武野紹鴎に師事。1548:堺の豪商、天王お寺屋 津田宗達・宗及・宗凡の三代にわたるお茶会記録「天王お寺屋会記」初年記録。1568:千利休、今井宗久、津田宗及の三人が、お茶おつむとしち織田信長に仕える。1582:利休、豊臣秀吉のお茶おつむとなり、お茶おつむとしちのみならず秀吉もすば近としち重要な立場に立つ。     完成された侘びお茶。1585:利休、秀吉が関白になるのを記念するお茶会に、居士名「利休」で出席。1587:北野大お茶湯が催さはる。1592:利休、秀吉と対立し、二月二十八日、切お腹。【古田織部】大名そーしちのお茶と堂上お茶。【小堀遠州?遠州流、片桐石州、後西天皇、金森宗和、野々村仁清】1612:小堀遠州、大徳お寺弧蓬庵のお茶室、亡筌を創設。1660:後水尾天皇、修学院離宮を完成。桂離宮。1868:明治維新にさいっち武家階層の支持モンを失い、お茶の湯衰退。【益田鈍翁】荒廃しつつあった仏さん教美術や東洋の古美術を収集し、お茶の湯に入る。1885:裏千家十一世家元、玄々斎宗室にさいっち立礼式始まる。1895:新興の政財界人にさいっち、お茶の復興始まる。1912:原三渓、大正初年頃さいり、お茶器の収集に尽力。1945:第二次世界大戦後、おなご性を中心に未曾有のお茶道人口が出現。

Copyright © 2008 茶道